日記

この世は公平に不公平にできている

たまにはインデックス投資カテゴリーでない記事も書いてみたくなります。

僕が子供に機会あるごとに伝えてきたことがいくつかあります。それをご紹介します。なお、それらは僕が子供に伝えてきたことであって、これが真理だとか一般論として通用するとか主張したいわけではありません。

この世は公平に不公平にできている

日本は基本的に学歴社会です。経済的な制約などがない場合、勉強する機会は公平に与えられます。勉強したければいくらでもできます。無制限です。スタートラインは同じだし「内申」という教師の主観が入る制度を除けば実力主義です。ここまでは公平です。

卒業する大学によって就職に有利不利が生まれます。当然です。企業は人を選別します。努力を重ねてきた人とそうでもなかった人のどちらを選ぶか考えれば前者になるのは当たり前です。その人がどれだけ努力したかは分からないので、卒業する大学から類推するのです。これも公平です。

就職先によって、あるいは就いた職業によって生涯年収が大きく変わります。働きがいとか、幸福度もきっと変わるでしょう。同じだけの時間同じだけ頑張っても(苦労しても)報酬は同じになりません。不公平ですね。でもどうしてそうなったかと言うと、公平であるほんの短い年数の間に、その後何十年にも渡って大きな差を生み続ける選択肢のうち、パフォーマンスが悪い方を選んだからです。自分の意志でね。

つまり、選択の自由は公平に与えられますが、選択の結果はとても不公平なものです。生涯年収で言えば数億円の差は簡単に生まれます。努力した人の方がそうでない人より報われなければ公平ではありません。が、日本では学生である短い年数の間に投入した努力(労力)が社会人になってからの数十年の長きに渡り影響を与えます。そして生涯年収の差はとても大きくなります。いくらなんでもそれは不公平だと思うぐらいにです。

人生は足し算ではない、掛け算である

人並みに努力しているのが1.0だとします。人より多く努力して1.5だとします。人より努力しないで0.5だとします。

人生が足し算でできているなら、今年サボって0.5であっても来年頑張って1.5にすれば人並みに戻れます。

が、人生は掛け算でできているのでそれでは努力が足りません。今年サボって0.5なのを来年頑張って人並みに戻すためには2.0必要です。つまり、2倍努力しなければなりません。

また、ちょっとしたことで人生を棒に振るバカがいます。人生のどこかに0.0を入れたら終わりです。その後どう努力しようが0.0です。復活できません。

これは学校では教えてくれません。いつでもやり直せる、努力すれば挽回できる、始めるのに遅すぎることなどないと教えるのが学校だからです。現実は違います。

報われない努力もある

努力は必ず報われるというのはウソです。それは教育者の発想です。本気でそう信じているならアホです。

報われない努力は普通にあります。努力はすべき時にすべき方法でしないと効果的ではありません。努力を徒労で終わらせないためには賢さが必要です。

ベジータはドラゴンボールの中でこう言いました。「では努力だけではどうやっても越えられぬ壁を見せてやろう。」これは自分に向いている領域で勝負しないと競争には勝てないと言っているのです。努力を徒労で終わらせないために。

貧困の連鎖から抜け出せる仕組みが必要

ここまで読むと少なからず傲慢な印象を受けると思います。まあそれはある程度正しいです。でも社会には経済的な事情、家庭の事情などにより学習の機会が公平に与えられてない人がいることは確かです。それが貧困の連鎖の要因とも言われます。そこから抜け出せる仕組みは必要だと思います。

僕はベーシックインカムに賛成ですし、社会保障の財源確保のために将来資産への課税が強化されるのは避けられないと考えています。現在20.315%の譲渡税が累進性になるとか、NISAのような非課税枠を大幅に拡大する代わりに40%に増やすとか。たとえば非課税枠をひとりあたり5,000万円に増やせば譲渡税40%でも国民は納得しませんかね。財務省はしないかな。

 

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